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鷹取美保子詩集『骨考』を読む
                        --詩集評

 

鷹取美保子詩集『骨考』考

 特異な書名を与えたこの詩集で、詩人は専ら自らの個的経験を語りつつ、ひとつの普遍的な世界を現出させた。

 詩集冒頭の三編で詩人は、逝ったばかりの姉に呼びかけ、愛別離苦の想いを語りかける。冒頭の詩「彼岸で遊びましょうか」では、幼い日のかくれんぼの際に優しく気遣ってくれた姉の姿を思いおこす。いまいちど彼岸で「もういいかい」と遊ぶさまを描き、最後に「もういいね」と交わしあう言葉で、いつか果たされる再会の願いを結ぶ。哀惜の想いが切々と伝わってくる。続く二編でも「骨壺」や「遺影」を前にして、詩人は姉に哀しく呼びかける。詩集全編が呼びかけの二人称で貫かれている。続く数編の詩では、父と母に呼びかけ、愛慕の想いが語られる。それぞれ二十余年、十余年の昔に先立った父と母への想いは、縁の事物を介して呼び起こされる。少し苦手だった寡黙な父とともに繙いた「臭い辞書」、しもやけの手を包んでくれた「大きな両手」、高校の合格祝いに買ってくれた「万縁筆」。「アルマイトのボウル」は、豆腐屋に使いに出した娘を気遣って待っていた母の笑顔を思いおこさせる。「ゼリービーンズ」など菓子の記憶から、病弱な末娘として両親から大事に育てられた回想が語られる。

 この詩集の前半には、このように寄物陳思、すなわち事物を介して思いを述べる詩が多い。第一章を締めくくる詩「わたしの いとしい もの」はその典型。「じゃあまたね」と、共にした記憶の向こうから還ってくるのは、読者の心の琴線にもふれる魅力的なものたち。姉や父母の記憶を導くのはそうした好ましいものたちである。――しかし、「蔵と写真と遮断機と」や「土蔵から」などの詩編では、趣の異なるもの、ときにおぞましさを抱かせるものたちが語り出す。詩人が蔵を開くのを待ち構えている先祖たちの様相。その「青虫を運んでくる親鳥の方を、一斉に向く雛」という譬えは秀逸である。「ひい祖父、ひいひい祖父」と「ひい」の連鎖が「夏の喪服のように」首筋から背中へ張りついてくる。「幾百年の物語を仕舞い込み過ぎた」土蔵や仏間から、死者たちは「風に転がる?の亡骸ほどにも軽やかに」仏壇、戒名、線香といった事物が形作る境界を超えてくる。

 第二章にまとめられた、詩集全体の標題をなす「骨考」の詩群は、そうした死者たちと詩人の付き合いを記す。詩人は末娘であるが、鷹取家の「遠い先祖からの骨」を「手をのばしてもいないのに手渡された」。姉や父母、その穏やかな声を迎え入れたい親しい死者だけではなく、詩人は(父母に勧められ)遙か昔の先祖にも向かい合うことを自らの役割として引き受けて行く(「骨考 ― 遙かな握手」)。「死者は穏やかに眠ってはいません」「お喋りに夢中」で「記憶を確かめ合っている」(「正しい礼儀作法」)。なかでも、第一章のこの詩や「こんぺいとう」「ねがわくは」、また第二章の「骨考 ― 震えるものたち」等の詩に登場する祖母の声はユニークである。その我儘な振る舞いに詩人の母は、そして詩人自身も孫として、かつては相当苦しめられた。怨憎会苦の記憶は、死してなお自分勝手で不満たらたらな祖母の言葉に躍如としている。これに対する詩人の一言、ぴしゃりと語られる「許しを知らない人は/許しを求めてはいけません」の小気味よさ。骨壺の母と連帯しつつ、いつか自分も骨壺の声となって声を交わしてゆく、と受け止める時、詩人はユーモアをもって(かつては重かった死者の声を)軽々と担ってゆく。

 第二章「骨考 ― 震えるものたち」で、後半の主題「風」が初めて現れる。かつての鷹取家墓所では墓の僅かな「隙間を覗くたびに」「風を連れ/名も知らぬ父祖が/順に立ち上がってきた」と。また、周囲の幾つもの丸石は無縁仏となり壺にも納められなかった雇い人たちの骨と語られ、骨とは魂の暗喩であることが分かる。風の主題は、第二章末の「骨考 ― 放たれて」に引き継がれる。「部屋の窓を開け放つように/地を開け放とう」「風に向かって」「空に向かって」。「万縁の者をひきつれて/骨は立ち上がってくる」「風に吹かれた骨は/命のあわいに/光を楽しむ」。再生と復活の主題が現れ、「風」を「あなた」と結ぶ第三章へと導く。

 第三章の十二編において、「風」の主題は次々と繰り返され、ひとつの大きなフーガを形作る。「風となったあなた」は(すでに固有名を離れ)総ての属性から自由な普遍的二人称として呼びかけられる。「あなた」は風として「私を包み、私の大地を廻り続けると約束」した(「レインスティックのように」)。「生きかわり 死にかわり」幾たびも再会すると「約束」した(「かわり かわり」)。その「あなた」は「わたし」をもひとつのそよぎに変えてゆく。「風への想いが/霜柱のように立ち上がる/と、天空の果てから/風はゆっくりとやってくる。… 長く深い息が遠ざかり/私の風への想いが/また するすると/健やかに育ち始める」(「氷鬼」)。評者はおそらく詩人とは少し違う世界観に立つが、「息」を「風」と結ぶ言葉に共感を覚える。世界を吹き渡る風は、命の息として死をも超えてゆく。『骨考』として、死と向きあってきた詩人は、そのままの姿で世界をそよぐ命の風となる。

 「私が逝き行く日に/私の一番お気に入りの言葉を/風に運ぼう」。それは、先祖達との語らいが昇華された「終わりのない語らい」となる(「その耳に」)。「わたしの時が/すこやかに満ちる夕暮れに/古い家系を離れ/名を捨て/風の系譜に連なろう」(「風の室」)。こうして「わたし」は「わたし」を超えた祈りの声となる。「雪よ降れ と願う幼子のように/風よ積もれ と私は祈る」(「こんな朝が」)。「正しい風の中に/まっすぐに/立つ日を夢見る」詩人は(「風のなかのきりん」)、「風が/わたしを」「天空のまほらへと」運んだのちも、「天も 地も/日ごと 更新されて行く」と、在るべき世界を望む祈りのコーダで終章を結ぶ(「天空のあわいを」)。



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