詩と音楽の関係
西洋音楽はもともと、言葉と深く結びついた形で出発しました。その起源のひとつ、ギリシャにおいて、言葉はその抑揚(母音の長短)と切り離せませんでしたから、詩を語ることは即歌うことだったのです。この伝統を西洋音楽はずっと引き継いでいます。ヨハン・セバスティアン・バッハの音楽もそういう長い伝統の上にあると言えます。
言葉も音楽も、ともに音を用います。ただ今日、演奏会などに行きますと、歌が歌われているのに、ちっとも歌詞の内容は気にしないで専ら音としての曲だけを聴いている人がよくいます。たしかに、それも音楽の鑑賞法の一つと言えるのかもしれません。実際に、バッハの音楽の多くは文字通り「音の楽しみ」として好まれています。バッハの器楽曲には耳を楽しませてくれる名曲が多いのも確かです。しかしバッハは、実は器楽曲以上に声楽曲を作っているのです。ですから声楽曲を除外して、バッハの音楽を本当に聴いたとは言えないと思います。そして特にバッハの場合、言葉はたまたま付けたというものではありません。むしろ言葉が出発点となって曲が作られたことが非常に多いのです(器楽曲も実はそうなのですが、今日は扱いません)。そういうことを念頭に置きつつ、今日は詩と音楽の関わりについて考えていきたいと思います。
いま述べましたように音楽には、内容を理解しなくてもただ聞いているだけで気持ちが良いと言う側面がある。そのため、それを羨んで、音楽のように聞いただけで分かってもらえる詩が書きたいという人もいます。雰囲気だけで受けとめられる、そんな詩が良いというのでしょう。また一方でそのような消極的な憧れに飽きたらない立場もあります。音楽はその音という記号だけが独立して力を持ちますので、詩人にも、言葉が伝える内容を含まずに、記号としての言葉だけで作品を作りたいという意欲を掻きたてたりします。象徴主義はそのような音楽への妬みから始まったと言えるでしょう。羨みか妬みか、いずれにせよ、詩と音楽の関係には、そのような一面を指摘することができます。一七・一八世紀の「情緒(アフェクト)理論」など、逆に音楽に言葉の持つ指示性の働きを読み込もうとした歴史もあるのですが、これも今日のテーマではありません。
バッハの音楽においては言葉が重要だと述べました。それは、一世紀前の音楽家シュッツが何よりもドイツ語の抑揚を大切にし、これに沿った作曲をした――そのような意味においてではありません。バッハは人の声をむしろ楽器のように扱い、歌手に音楽的技倆の極限を要求しました。けれどもなお、バッハは、言葉を大切にし、言葉を彼の音楽の中心に据えたと言えるのです。そうした事情をお話しするために、今日は例として一つのテキストを用意しました。カンタータの第一〇六番です。資料をご覧ください。題名は「神の時は最良の時」。人生や信仰に結びついた内容を窺わせます。表題の隣に「哀悼式典」と書いてあります。これはこの曲が作られた契機を示しています。葬儀、ないしは死者を記念する行事のために作られました。ヘルマン・ヘッセの小説に『デーミアン』という作品があります。その一場面でヘッセは、シンクレーアという主人公に、この曲への最高の讃辞を語らせています。「小さい少年のころ…バッハのマタイ受難曲を聞いていると、この不思議な世界の暗澹とした力強い受難の輝きが神秘的な戦慄をもって私をひたした。今日なお私はこの音楽の中に、また「神の時は至上の時」(悲壮な行為)の曲の中に、すべての詩と芸術的表現の精髄を見出すのである」(『デミアン』高橋健二訳)。高橋健二氏は副題を「悲壮な行為」と訳していますが、実は「哀悼式」ということです。
カンタータとは
カンタータとありますが、その語源「カントー」とは「歌う」ということ。歌をもって一つの主題や、状況を描き出した楽曲、それが「カンタータ」という形式です。バッハは生涯に、残されているだけでも二〇〇を越えるこの種の作品を書きました。それらをバッハは自分では「カンタータ」と呼んではいません。「モテット(語源は言葉mot)」とか「教会コンチェルト」など様々な呼び方をしていますが、今日それらは総称的に「カンタータ」と名づけられるようになりました。二〇〇余と言いましたが、教会で演奏された「教会カンタータ」のほかに、「世俗カンタータ」もいくつか残しています。「コーヒーカンタータ」「結婚カンタータ」などご存じかもしれません。しかし数から言えば「教会カンタータ」が圧倒的に多い。また楽曲形式からすれば「クリスマス・オラトリオ」はカンタータ六曲からなる組曲ですし、著名な「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」などの受難曲もバッハの場合、カンタータ様式の拡大と見ることができます。
バッハのカンタータの多くは、合唱の他に独唱者の「レチタティーヴォ」(場面や状況を述べる「叙唱」)と「アリア」(情緒を高らかに歌う「詠唱」)の組み合わせによって構成されています。しかし、カンタータ一〇六番はそうした形式とは違っています。その様式に出会う以前の作品だからです。一七〇七年、バッハ二十二歳の年、アルンシュタットの教会オルガニストとして音楽家の経歴を歩み出してから、あまり年を経ないうちに作られました(1)。バッハ・カンタータの初期の様式、それは、ヴァイマル時代以降に現れてくるような創作詩による叙唱と反復アリア(その組み合わせは創始者に因んでノイマイスター様式と呼ばれます)を含まず、専ら聖書のテキストと「コラール」(ルター派福音教会に伝わる賛美歌)からのみによって成るところに示されています。ひろく「モテット」(「言葉の音楽」の謂)と呼ばれるその伝統の形式を、バッハは大伯父を初めとする一族の先輩や著名な先人たちから熱心に学びました。伝統を受け継ぎ、模索を重ねて自らの作品を創り出しつつある、その時代の作品。その意味では「若書き」の曲なのですが、「哀悼式典」はその鋭意努力の結実として、バッハのカンタータの中でも後年の名曲に並ぶ名作として、今日彼のカンタータ選集には必ず選ばれる作品となりました(2)。
伝記をみるとこの曲が作られたとされる年、一七〇七年は、バッハがマリア・バルバラという女性を妻として迎えるその年にあたります(作曲は新任地ミュールハウゼンとされます)。前任地アルンシュタットの町長は、遠縁の親戚で下宿先「金冠荘」の家主。その娘マリア・バルバラはソプラノ歌手でした。彼女を教会の合唱隊席で歌わせた(当時の習いからはスキャンダル)とか、合唱隊の年配生徒との諍いとか、青年らしい逸話も伝わっていますが、バッハにしてみれば、ある意味でこれから人生の表舞台が始まっていくというその時に作られた曲なのです。結婚を控えつつ死者を悼む曲を作るという状況です。先に「哀悼式典」と述べましたが、その式にはどんな子細があったのでしょう。伝えられるところでは、そのころ母方の叔父トビアス・レンマーヒルトが亡くなり、彼はバッハに、五〇グルデンの遺産を遺してくれたようです。これが、バッハに所帯を構えることを可能としてくれたのかと、想像をたくましくしますが、いずれにせよこの曲はこの伯父の葬儀に際して作られたのではないかと推測されています。そうだとすれば、人生の歩み出しにあたって非常に恩を受けた人の葬儀に際して作られたと言えましょう。
「神の時は最良の時――哀悼式典」BWV106
1. ソナティーナ
2.a 合唱
神の時は最良の時。
神のうちに私たちは生き、活動し、存在する、
彼の欲するその時間の限り。 (新約・使徒行伝17,28)
神のうちに私たちは死ぬ
彼の欲する、そのただしい時に。
b アリオーソ(テノール)
ああ主よ、私たちが死ななくてはならないことを
よく考えるように諭してください。
私たちが賢明に世の時をすごせるように。 (旧約・詩篇90,12)
c アリア(バス)
おまえの家のために遺言(そなえ)を記せ。
おまえは死んで
生きつづけることがないのだから。 (旧約・イザヤ書38,1)
d 3重唱(アルト/テノール/バス)+アリオーソ(ソプラノ)+器楽コラール)
それは旧くからの契約(さだめ)だ。
人よ、おまえは死ななくてはならない。
(旧約外典・ベン・シラの知恵14,18)
ええ、来てください、主イエス。
(新約・黙示録22,10)
(J・レオン作コラール「わたしのことは神に託した」[1582/89] 定旋律)
3.a アリア(アルト)
あなたの手にわたしの霊を委ねます。
あなたはわたしを贖ってくださった、
主よ、誠実(まこと)を尽くされる神よ。 (旧約・詩篇31,5)
b アリオーソ(バス)
今日、あなたはわたしとともに
天の国にいるであろう。 (新約・ルカ伝23,43)
c コラール(アルト)とアリオーソ(バス)
平和と喜びとともにわたしは彼方へ駈けてゆく
神の欲するままに。
わたしの心と想いは慰められて、
穏やかに静まっている。
神がわたしに約束してくれたように
死はわたしの眠りとなった。
(シメオン頌歌[ルカ2,29-32]に基づくルター作同名コラール [1524] 第1節)
4. コラール合唱
栄えと頌え、誉れ、また光栄を、 (新約・黙示録5,12; 7,12)
あなたに捧げます、父と子、
聖霊と呼ばれる三一の神に。
神よりの力よ
わたしたちに勝利を与えてください、
イエス・キリストによって。アーメン(しんじつに)。
(ロイスナー作コラール「主よ、わたしはあなたを望みとした」[1533] 終[第7]節)
テキストを辿りつつ、音楽についても少し触れてゆきます。第一曲は「ソスティーナ」とあります。「ソナーレ(演奏する)」から来た言葉。「小ソナタ、器楽曲」です。用いられている楽器はブロックフレーテとヴィオラ・ダ・ガンバ。ブロックフレーテは別名、縦型フルート。日本ではリコーダーとも呼ばれ、小学校の音楽でも使われています。空気が通じると音を立てるという点で、歌う人間の身体は笛に通い合う。そんなことを想わせる素朴な楽器です。冒頭に響き出すこの笛の音はまさに、命の息を直観させます。ヴィオラ・ダ・ガンバという少し古い楽器も使われています。演奏者の姿は、祈る人間の姿を連想させます。それらの楽器が哀調を帯びた旋律を響かせますが、それは不思議な明るさをも漂わせ、嘆きに陥ることがありません。それは、この作品の全体像を予め先取りする響きと言えます。
つづいて歌詞が始まります。全体としては1から4までの四部から成るように見えますが、1と2が続けて演奏されるので、曲の区切れからは三部に分かれるとも感じられます。一方、曲の内容からは、前半と後半がはっきりと対立して、音楽的にも対称構造を形作っています(これは後で詳しく述べます)。
前奏に続く第二部冒頭、曲全体のテーマが示されます。「神の時は最良の時」(第一行)と合唱が歌いだします。続く第二行には「活動する」という言葉が出てきますが、これは「動くweben」という意味なので、曲は非常に活発な動きをします。「死ぬ」という言葉を含む第三行は、対照的にゆっくり奏される曲調に変わります。
続く「アリオーソ」とは、アリア風に歌われる叙唱の謂。唯一、聖書本文からの引用ではなく、半ば自由詩風のテキストです。半ばというのは、「私たちが死ななくてはならないことを、よく考えるように諭してください」と訳した箇所、これはやはり旧約の詩篇第九〇篇に基づいています。日本語の聖書では、「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください」とあるのですが、あえてドイツ語を直訳しました。近頃テレビで、保険のCMでしたか、こういうのがありましたよね。「よーく考えよう、お金は大事だよ」というのが(会場・笑い)。小さな子どもが覚えて繰り返すので、親がショックを受けたとか。ドイツ語テキストはまさにその言葉。人生で最も大事なこととは何かを「じっくりと考えよう」と。世紀や時代を越えて人生の最大事を問う仕方は同じです。
次の部分では「遺言をせよ」と、もうその大事、死が目前に迫っています。「私たちが死ななくてはならないこと」と一般的な話題であったのが、「おまえは死ななくてはならない」と直に語りかけられ、事態は切羽詰まっています。そこに「生きるleben」と「つづけるbleiben」が重ねられていますが、この二つは本来語源を等しくする言葉です。「生きる」ことは本来「留まること」。そうであって欲しいというのが人間の切実な願い。しかし現実にはそうではない。それが根本的な問題として示されています。
「生きつづけられない」のはなぜか。次にあるように、それは「旧くからの契約(定めBund)だ」から。その語義は「結びつけ(英語のbind)」で、そのような状況に人は結ばれている。「旧くからの契約」とは「旧約聖書Altes Testament」の別表現。神は人間に命を約束した。しかし人間は、その「結びつき」を壊してしまった。命に留まることをを願っても止まりえないのが、「旧約」の「律法」の世界に於ける、人と神との結び、また人と人の結びの姿です。聖書に限らず、宗教の戒律は皆そのような問題を我々に直面させると言えましょう。「これは古くからの契約だ。おまえは死ななくてはならない」という言葉が、人間を縛る秩序として、人間をとりまく関係の根本問題です。前半の歌詞は、ここまで総て旧約聖書からの引用、またそれを示唆する言葉で成り立っています。
ここに突如「ええ、来て下さい、主イエス」という言葉が入ってきます。これは「新約聖書」を締めくくる最後の言葉(正確には最後から二番目の文)。ここでは、旧約聖書と新約聖書がこのように正面から対置されている。否、ぶつかり合っている。併置された言葉を介して正反対の思想が激突している。内容的に実は大変な箇所なのです。そうした言葉の出来事へのバッハの対応と曲作りについては後で触れることにします。この折り返し点を越えると、正反対の曲想が繰り広げられてゆきます。ですから、この箇所がまた、曲全体の構造を前半と後半にくっきりと対照的に分ける対称の軸となります。
第三部に入ると、「贖う」という言葉が出てきます。これは「買い戻す」という意味で、奴隷のように拘束されている者がそれによって「自由を得る」こと。「縛り」が「解かれる」のです。そのような解放者として「まことの神」という言葉も出てきます。「誠実(まこと)を尽くされる神よ」と訳しました。「誠実(まこと)の神よ」と訳しても良いのですが、「偽もの」と対置される「真(まこと=本物)」ではなく、「忠実・誠実」という意味です。「誠実なtreu」という言葉は、次のコラールに出てくる「慰められるgetrost」と語源を等しくしています。ともにtとrを含んでいますね。ドイツ語では「誠実Treue」「慰めTrost」「信頼するtrauen」などですが、英語でも「真実true」や「信用trust」や「盟約trace」。それらの共通の語源は「木tree(ギリシャ語drue)」で、樫の木のように堅く揺るがぬ者への信頼を表しています。「揺るがぬ相手にこちらの心が動いていく」という、もともとはゲルマン・ケルトの信仰心・信頼観念に由来する感覚(ケルトの樹霊druidを参照)ですが、「神の中に真実を置く」帰依の念として、聖書の信仰を接ぎ木する台木となりました。誠実を尽くす神に、人も誠実を持って応える。聖書の信仰とは本来、人格的な向かい合いにおいて生起する言葉の出来事なのです。
つづくバスのアリオーソ「今日あなたはわたしとともに天の国(パラダイス)にあるであろう」というのはルカ福音書に出てくる十字架上のイエスの言葉です。魂が真実な方と呼びかけるその呼びかけに、このイエスの言葉が応えています。解放の出来事には十字架の出来事が関わり、深みから支えています。囚われの定めに対する嘆きは、いつの間にか霧散して、忘れ去られてしまったというのではありません。それは神の側においてしかと受けとめられ、決着がつけられて、なおかつ解放の歓びが告げられるのです。
この告知を再び受けとめて、次のコラールが歌われます。尽くされた誠実に応えて、その相手の中へと流れ込んでいく信頼を、言葉の出来事として映し出すのが、「平和Fried」また「喜びFreude」という響きです。唇を噛むfによって一時堰き止められていた心が、その究極の相手に向かってrrrrrと風のように勢いよく流れ出していく。囚われと拘束の内に堪え忍び、待ち望んでいた者が、ついに解き放たれてその解放者のもとへ歓び駈けていく。そのように弾む命と息づかいをそれらの言葉は表しています。人の息の動きは、まさしく人の命の動きそのもの。古くから、人の息は人の霊の顕れと考えられてきました。そのような息の消息を笛という楽器は担い、象っています。人の全身を震わす歓びとして。
第四部の初めに器楽の前奏が入ります。第一部導入のソスティーナのしめやかな哀調と不思議な明るさが思い起こされます。懐かしい旋律が還ってきたような印象を与えます。結びのコラールは斉唱で歌われますが、器楽が言葉を確認するように同じ旋律を繰り返しなぞっていきます。先ほど縦型フルートについてお話しして、人間の息に通い合うと申しましたが、それがまるで谺のように響きながら歌詞に伴っていきます。そのような谺の効果が特徴的です。最後の一行で急にテンポが速まり、「駈けていく」という先のコラールの歌詞さながら、バッハらしいフーガの追いかけっこが讃美を高めていきます。そして最後は、静かに息を引き取るようにも聞こえる終わり方をするのですが、それを谺のように笛の音が明るく穏やかな響きで引き取り、曲は終わります。
レオンのコラール「わたしのことは神に託した」
曲全体が対称の軸を境に前後二つに分かれると申しました。その軸とは第2曲のdにあたります。この部分をはさんで形式的に見事な対称型を形作ります。2dの前後にはそれぞれバスのソロ(2c)とアルトのソロ(3a)、またその外側にはテノールのソロ(2b)とバスのソロ(3b)が置かれています。さらにその外側では、初めの合唱(2a)と最後のコラール(3c)が対置されています。その構造の一番外側に導入の器楽曲(1)と、最後の華やかなフーガの讃美(4)がまた対応しているわけです。シンメトリーになっている。青年バッハの作ったこの曲はそのような造形的な構造を持っています。その点に置いても晩年の作品にならぶ構成力が示された作品となっています。
対称の軸をなすこの部分2dでは多声法(ポリフォニー)という、旧いモテットの技法が使われています。青年バッハが先達から受け継いだ様式です。この様式においては、多くの旋律が併行して演奏され、あるいは少しずれて重ねられてゆきます。冒頭の「それは旧くからの契約(定め)だ」という部分、低声部のテノール、アルト、バスと順番に、同じ音形を歌い始めます。等しいテンポで繰り返されるその言葉は、その「定め」が不変で、逃れようのない桎梏であることをを印象づけます。そこにソプラノのアリオーソ「ええ、来てください、主イエス」が入ってきます。これはそのような桎梏に呻く魂の声として悩みを訴えつつ、望みと憧れを窺わせる動きの多い旋律を響かせます。そのような低声部の三重唱とソプラノの掛け合いは四回繰り返されますが、実は、ここのところにもう一つ別な旋律が隠れています。歌詞対訳に「レオン作コラール」と挙げておきましたが、「わたしのことは神に託した」という歌詞を乗せるはずの旋律が、その旋律のみリコーダーとヴィオラ・ダ・ガンバで演奏されているのです。いったいこれは何を意味しているのでしょうか。楽譜をご覧下さい。「ええ、来て下さい、主イエスよ」とソプラノが歌った後、その言葉を引き取って支えるようにこのコラールが器楽で演奏されます。曲は入ってくるけれど、言葉は語られない。でもその意味は重要です。
「BWV106 当該箇所」(ピアノ伴奏譜なので見にくいが、矢印の処でコラールが入る)
コラール「わたしのことは神に託した」定旋律
対称形の山頂部にあたるこの2dの部分、そこでは曲の前半の主題と後半の主題が交錯しています。「死」は前半では、人を刺す棘、人を脅かす恐怖でしたが、後半では安らかな眠り、穏やかに待ち望む究極の時に変わっています。死の淵からの嘆きと平安の内に仰ぎ見る信頼、そのように対極の主題が実はこの2d一曲の中で組み合わされ、衝突している。後半の主題を担わされたソプラノ・アリオーソは、待ち望んでいますが、まだ平安そのものを得てはいません。憧れつつ信頼する相手に賭けていこうとする魂の喘ぎが、その動きの多い旋律に表現されています。そして、器楽のコラールは、あたかもソプラノを支えるかようにその動きについて行く役割を与えられています。。低音部三重唱とソプラノと器楽コラールの掛け合いは重層的で、非常に密度の濃い部分となっています。
冒頭合唱(2a)に「神の内に私たちは生き」とありました。人間が空気の中に暮らし、意識することなく呼吸しているように、人間は「神の内に」生きている。魚が水の中にあって水を感じずに生きている、そのように。自覚するしないは別として、人は神の中に生きている。そのように人は神と交わり、その交わりに支えられて、人とも交わっている。結びついている。バインドをする。また自然とも結びつき、交わりをする。交わりながら生きている。それが先ほど述べた「生きる」「留まる」という意味です。しかし、2dでは、それが「旧い契約」だと述べられる。その元来の結びつきにが限界に達したとの謂でしょう。つまり「結びつき」というものが「縛り」に変わる。働く仕方、その形は同じです。しかしその役割が、人を縛りつける「旧い定め」に変わってしまった。それが問題なのです。人を結ぶものは様々あります。一番典型的なものは「家庭」でしょう。愛が家族を結んでいるわけですけれども、その結びつきがちょっとずれると、愛がいつの間にか縛りに変わる。家庭の中にも悲惨なことが起こる。また「平和」や「自由」、そのように本来良いもの、大切なものとして求めていくものが、「主義」となると形が変わってしまう。イデオロギーとなって人を縛る。それをここでは「旧い契約」と言うことで表現しています。大切なものだけに、求める人間の考えがちょっと違っただけで争う。殺戮に至るほどに。死生を扱う宗教にはそれがまことにはっきりと現れます。「旧い契約」と述べられていますが、旧約ではそれを「律法」とも言います。それが実は、死に隠された棘なのです。その定めゆえに人は死に捕らわれ、その棘は痛いのです。それをバッハの音楽は、アリア・テノール・バスの低声部三重唱の平坦な調子で歌い続ける。一定で変わらぬ調子は、「縛り」としての結びつきを表しています。そこからソプラノは逃れ出ようとし、望みを求めてさまざまに動き回ります。それは人間の魂の動きを表しています。三重唱フーガとソプラノとコラールの掛け合いが四回繰り返されますが、繰り返されるごとにこの三者の間隔が狭まっていく。ソプラノは、器楽コラールの支えを得たからでしょうか、低声部が終わっても独り歌い続け、その伸ばされた響きで終わります。ピアニシモで終わる。いわば望みを繋いでいく。そういう響きです。
曲をお聞きいただきましたので、これで終わります、でもよいのですが(会場・笑い)。詩人クラブですから詩の話をしなければなりません。これからお話しすることは、何故バッハが、このレオンのコラールをここに用いたのか、ということについてです。先にお話ししたように、カンタータ一〇六番のテキストは聖書の言葉から成り立っています。つまり、作詞者とか詩人が書いたものではなく、誰かがそれらの言葉を集め、整えたものです。この曲を依頼した誰かが組み合わせたのかも知れませんが、バッハ自身が歌詞の構成をも行った可能性が指摘されています(3)。それもありうることだと私は考えます。いずれにせよ、曲作りの過程で、歌詞の入らないコラールメロディーを入れる、これはバッハの意図によるものであることがはっきりとしています。それは作曲家の領分ですので。この曲をこの形で入れる、それはバッハの意志であったと言えます。
「コラール」とは、ルターを創始者として、その福音主義教会に広まり伝えられていった一連の賛美歌ジャンルを指します。「衆讃歌」と訳されます。教会史の他ジャンルと区別して「プロテスタント・コラール」あるいは「ドイツ・コラール」とも呼ばれます。旋律を施されたその詩は、民謡と呼べるほど信徒の家庭や共同体の内に深く入り込んでいきました。バッハの頃には、ある旋律が響くと誰もがその詩を思い浮かべることができるほどに、精神(魂)の共有財として民衆の心深く根づいていました。メロディーを聞けば、あの賛美歌だと分かる。そのことは重要であると思います。その詩を会衆が思いおこすことができる。そう言う形で音楽は詩を伝えるからです。バッハはそのような音楽の働きを理解して用いています。隠された形で暗示され、伝達されようとしているのは音楽の担う情緒気分だけではなく、他ならぬその詩の語る内容なのです。実際レオンのコラール自体は、歴史的にも哀悼の曲、送葬の曲として伝わり、当時は広く知られていたようです。ですから選択をしたバッハの意図は、注意深く聞くならば聞き手に伝わる。たとえ伝わらずとも、細部にまで精魂を込める職人気質。そのような意匠を窺うことが出来ます。
レオンのコラールは、全部で一八番までありますが、現在のドイツ福音主義教会賛美歌集には載っていません。第二次世界大戦前の讃美歌集にもそのうち一二節のみ収められて、間の(実は重要な)部分が抜かれています。ここにはその部分を補って戦前版を訳してみます(こちらは文語調で訳しました)。
1 わがことは神に託せり
神その御心のままにわれに計らいたもう
われなお永らえて世にとどまることあれば
われに備えられたる
御心を果たすべく歩まん。
(一〇六番の対応箇所)↓
2 わが時は神の定めたもうその時、 2a
おのが尺度や目当てを神に求めず。 (詩篇31,16)
わが髪ことごとく数えられたれば
長き短き、いずれにても
御心なくして落つることなし。 (マタイ10,30)
3 この世はいずれ嘆きの谷なれば、
恐れ、苦しみ、悲しみのみあまねし。
とどまるは儚き時の間にて
煩いと苦しみのみ満てるなり。
もの思う者はつねに諍いを増すのみ。 (詩篇90,10)
4 銭も財も、いかなる富も、
いかなる技、また恩顧も剛毅も虚しきもの。
儚き草なるもの死の前にたちおおせずして、
キリストに誠をおく者どもよ、
生けるものは悉くみな死すべきものなり。
5 この日若き命は強く健やかなれど
われら明日は奥津城(おくつき)に横たわる身ぞ
この日われら赤き薔薇のごとく花開けども
やがては病に伏して死を待つ身。
いずれにても煩いと困窮あるのみ。
6 ひとつまたひとつと担われゆく屍、
まこと目を離(さか)るものは人の心よりも疎くして、
世は速やかにわれらを忘れる
老いも若きも隔てなく
われらがあれこれの誉れもまた同じ定め。
7 ああ主よわれらをして想わしめよ、 2b
げにわれら死すべき者なるを、
われらまた世に永らうべからず、
みな死なざるべからざる者なるを、
賢きも、富めるも、老若、また麗しきも。 (詩篇90,12)
8 こは罪のゆえなり、汝真実(まこと)なる神よ、
これによりて辛き死は世に入りたり、 2d
死は人の子ら総てを取りて、
見出すがままに喰らい
貴賎のへだてをかえりみること無し。 (詩篇90,7-8)
9 世にありてわが佳き日は少なく
日毎の糧は労苦と嘆きのみ。 (詩篇90,10)
さればわれともに、わが神の御心のままに 3c
安らかに駈けりゆかん。
死はわが益なればわれを損なわず。 (ピリピ1,21)
10 わが罪われを試みて責むるとも
われ怯むことあらじ。
われは知る、わが真実(まこと)なる神 3a
わがために死の手に
こよなく愛する御子を渡されたり 。
補 (これなるわが主イエス・キリスト
われに代わりわが数多の罪のために死に
わがために甦りたまいぬ。
主は陰府の劫火を
その尊き血潮もて消し去りたまいぬ。)
11 これぞつねにわが慰めなる、
われいかなる十字架(せめ)にあり憂いにあるとも。
われは知る、終わりの日にわれ
嘆きの涙をことごとくぬぐわれ
わが墓よりよみがえるべし。
12 愛しまつるわが神の御顔を 3a
すべからくわれ仰ぎまつらん。
与えられたる永遠(とこしえ)の喜びと幸いにありて
われは奉らん。
御神に誉れと栄え永久(とわ)にあれまし。 4
さすがにレオンはこれを一気に仕上げたのではなく、年月を重ねつつ節を書き加えていく、そのような書き方をしたようです。歌としてもこれは長すぎて、とても通して歌えるものではありません。また昔も今も、ドイツの教会での礼拝讃美は、一つの賛美歌を通して歌うことはしません。その聖日の説教に関連する賛美歌の番号と、そのうちでも歌われる節の番号とが、会堂壁面などよく見えるところに掲げられています。
レオンのコラールを一〇六番のカンタータと較べてみるとある対応に気づきます。コラール歌詞の下に挙げた一〇六番の対応箇所を参照ください。一〇六番のカンタータの歌詞の全体(聖書の引用)がこのコラールを連想させる。あるいは逆に、このコラールが先にあって、対応する聖書の箇所が選ばれ組み合わされたのではないかと推測されるのです。そこに線を引いておきましたが、関連する部分を次に、例として並べてみます。
Leon (二番) 我が時は神の定めたもうその時
106/ 2a 神の時は最も良い時。
Leon (七番) ああ主よわれらをして想わしめよ
げにわれら死すべきものなるを
106/ 2b ああ主よ、私たちが死ななくてならないことを
よく考えるように諭してください。
(さきほどの「よーく考えよう」の部分です)
レオン作コラールの三番から六番までは、何が大切かを詩人がよーく考えた、その思考の内容を記します。お金が大事か、というより、仏教の四苦八苦に相当する内容が「美しい者でも、老いも若きも、行き着くところは一つ」という考察の内に示されています。中世以来の「死を想え」というテーマ。その言葉の背景に、詩篇第九〇篇への示唆が多いことに気づくでしょう。言うならば、詩篇第九〇篇がこのコラールを生んだし、またこのコラールがカンタータ一〇六番の契機となった、という意味での照応関係が成り立っている。三つのテキストそれぞれに他を示唆しあっている。そういう詩同士の連想の連鎖、今日で言うハイパーテキストの関係がそこに成り立っています。ですから逆に、このカンタータからコラールに還り、コラールから詩篇に還ることも可能となるわけです。複数の詩が重なっている、その重層性が一〇六番のテキストの背後にはあるのです。現在ではパソコン画面の当該箇所をクリックすると当該テキストが引き出されるという操作をしますが、昔はひとりひとりがその操作を心の中で、記憶の中で行っていったのです。連想するという手続きで新しい詩は作られ、また記憶に重ねられていきました。バッハが器楽でコラール旋律を置いたことは、その記憶引き出しの端緒を標したことを意味するのです。
続くレオンのコラール第八番には罪ということが出てきます。「こは罪のゆえなり、汝真実(まこと)なる神よ、これによりて辛き死は世に入りたり」。これは詩篇第九〇篇では七節八節に対応するといえましょう。「あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました」。この罪という言葉はカンタータ第一〇六番には出てきませんが、新約聖書には「死の棘は罪であり、罪の力は律法である」という箇所があって(第一コリント一五章五五節)、死と罪と律法とはいわば手に手を取り合って攻め寄せて来る、連帯した敵対者として描かれ、人間を痛めつける共同の「縛り」として理解されています。そのことがレオンのコラールにははっきりと書いてあります。敵対者たちが連れ立って死に瀕した人間を襲ってくる。罪深いおまえなんぞ救われないと責めながら。これこそが死の棘に他なりません。なぜ交わりの「結び」が「縛り」になってしまうか。旧い契約がなぜそのような限界を持つのか。その原因をはっきりと述べています。明言せずとも一〇六番はそのような暗示を担っているわけです。
レオンのコラールの一〇番にはもう一つ、一〇六番のカンタータ2dでは明示的に言われず、暗示にとどめられていたことが示されています。一〇番後半から補遺の部分を越えて一一番まで、コラールがなぜそこに置かれたかの理由が示されています。それは3bの十字架の出来事を先取りして照らしだし、震わされた魂が立ちおおせる堅い立処を指し示します。コラールのこの言葉の促しがあるからこそ、これに支えられてソプラノは「ええ(しかり)」と歌うのです。
先ほど「ええ、来たりませ、主イエスよ」は新約聖書末尾の言葉だと言いましたが、そこで私が「ええ」と訳した言葉は日本語聖書では「アーメン」と訳されています。「アーメン」という言葉はヘブライ語の「エムナー」からきているのですが、これは「真実」という意味です。アーメンとは、「しかり、それは真実だ、それは本当だ」という意味なのです。「真理、真実、しかり」ですから「ええ」でもよいわけです。その「しかり」の根拠が実はコラールの方にあるので、このコラールを用いたと言うことは、このソプラノの背後にコラールがいわば伴奏(伴走)するように歩む、そのようにして後から支えるように伴う共同体の支えが示唆されていたのです。共同体が背後からこの脅かされた魂を支えているということが、そこに暗示されていたわけです。バッハの意匠は明らかです。曲作りにあたって、バッハが詩をどれほど深く読んでいたかも窺い知ることができます。
ルターのコラール「平和と喜びとともに」
このような言葉の出来事を受けて、カンタータ一〇六番は後半へと転回します。レオンのコラールの示唆していた共同体の担ってきた救いの伝承は、3の冒頭で、自らも身に覚えのあることとして、その事実に委ねていく希望の賭けに変わります。「あなたの御手に私の魂を委ねます」というくだり、通奏低音の伴奏はオクターブを越えて上昇する旋律を繰り返し、言葉の内容を表現しています。これは詩篇第三一篇の引用ですが、自らに恃むことなく、専ら神の独一的な救いの手に拠り頼んでいく、旧約の内にも垣間見られた信仰の純粋な姿を言い表しています。そのような魂の姿勢を十字架上のキリストの言葉が受けとめるのです。出会いの出来事を経て、旧約律法の縛りが新しい命の結びに置きかえられた箇所といえます。キリストの言葉の途中で新たなコラールが入ってきますが、このルターのコラールは、その命の結びの言葉を自分もまたはっきりと聞いたと証言するもの。希望の根拠に自分も確かに見えたという、究極の出来事を経た後の信仰告白です。コラールの途中でキリストの言葉は止みますが、罪の棘、律法の縛りはもはや決定的に解かれているので、コラール歌詞は「穏やかに静まり」そして「死は私の眠りとなった」と安らかに告げて、曲は静かに終わります。この「私」の告白は、共同体の告白を受けとめて、これを実証し、さらにこれを深める経験を共同体の伝統に加えるものと言えましょう
この告白を受けて、終曲の合唱が讃美を一言一言斉唱で歌います。器楽は一句ごとに反復するようについていきますが、これは全身全霊をもってする同意を表しています。そして最後の一行は、いかにもバッハらしいフーガに転じます。フーガとは遁走曲と訳されますが、もはや死の結びを解かれ、軽々と弾む命の「追い駆けっこ」が描き出されます。去りゆく者は足取りが軽くなり、その最後の時を駈けていきます。見送りながら伴う者は、前になり後になりしてしばしの道程をともに走る。最後のアーメンは、安らかに息を引き取るその息の響きを表現しているようですが、これを笛が谺のように引き取ります。まるで、思い出の中にその駆けっこが続いていくように。曲の終わりとともに響きは止むけれども、見送った者たちを生かすリズムとして谺は響き続けていく。立ち去った先輩の歩みを模範にして、自分も精一杯、世の終わりの希望を目指して生きていこうと。
そこでレオンのコラール、冒頭第一番を振り返ってみると、それが「歩み」を語っていたことに気づきます。「わがことは神に託せり。/神その御心のままにわれに計らいたもう。/われなお永らえて世にとどまることあれば/われに備えられたる/御心を果たすべく歩まん」。そこにバッハの「私」が覗いているように思われます。バッハがこのコラールを用いた意図、またそもそも一〇六番を作るに際して自らに期した意図を窺い知ることができるのではないでしょうか。齢二十二歳にして、結婚を間近に控えていたバッハが、その家庭の歩みへの決意を密かに語っている。読み込みが過ぎるかも知れません。いずれにせよ、哀悼曲とは、死者のためのみならずして生者のためでもある。死者の死を受けとめて共に歩むために。バッハがレオンのコラールを暗示的に用いた理由、またそもそもコラールを重視する精神は、そのような共同性の示唆にあるといえましょう。
ではなぜバッハは、レオンのコラールを通して演奏して、それで済ませないのでしょう。たしかに、テキストが意図に適うからといって、コラールをただ演奏しただけでは、作曲家として腕の振るいようがない。それにしてもなぜ、コラールをこれほど暗示的に用いるのでしょうか。そこにこそ、この曲に込めたバッハの意匠、また彼の詩や言葉に対する理解を窺い知ることができると思われます。先ほど述べたように、レオンのコラールは本来一八番まであります。会衆の斉唱ではとても全部歌えない。疲れるか飽きてしまいます。なるほど音楽は反復を可能にします。バッハにも、コラール変奏曲の手法で何番もある詩に曲付けをし、見事な統一を成し遂げたカンタータの例があります(後述のカンタータ第四番参照)。だがそれにしてもレオンのコラールは長すぎる。それは、死についてのありとあらゆる事柄を網羅する仕方で黙想を重ねていきます。場面を絵画的とも言える仕方で並列し、叙述していく。これは言葉に喩えれば散文の世界です。小説のように、プロットを重ねる展開によって読者(聞き手)を引っ張っていく。もちろんそのような音楽もあります。とりわけ一九世紀以降には多いと言えましょう。レオンのコラールを用いればそういう曲作りも可能でしょうが、しかしそれはバッハの意には叶わないのではないか。バッハの一〇六番を見ると、むしろ建築的、造形的というべき構成を見出します。等しく言葉に喩えれば、そもそもバッハの音楽は散文よりも詩に近い、詩的に構築された音楽であるといえましょう。彼は、音を伸ばしたり繰り返したりするだけではなく、言葉の力を重んじ、あるいは対照的な語義の衝突、あるいは沈黙によって響きをさらに深く刻印する仕方を心得ていました。そのように造形された音楽は声楽の領域を越えて器楽にまで及びます。バッハの音楽は詩人的な造形によって貫かれていると思います。何よりも、一〇六番のカンタータは、音楽のそのような詩的凝集によって、聞く者の心を捉えます。
そのような言葉観は、レオンよりもむしろルターのそれに近いと言えます。一〇六番の後半の要にルターのコラールが用いられているのは偶然ではありません。ルター派教会の形成につれ、教会暦に則って秩序だった曲の創作、集成が行われていき、哀悼用の曲もその一つの柱となりました。レオンのコラールはその代表例ですが、哀悼曲の祖型といえば、何よりもこのルターのコラール「平和と喜びとともに」であったといえます。しかし、ここでルターが示唆されているのは、そのような伝統への通り一遍の顧慮によるものではありません。さらに内的な契機も働いていたと思います。教会オルガニストとしての出発に際して、バッハはルターのコラールに深く傾倒し、その本質を触れようとした形跡があるのです。オルガン・コラールへの取り組みの他、一〇六番とほぼ同じ頃バッハが作ったカンタータには、ルターのコラール全節に曲付けしたものがあります。カンタータ第四番「キリストは死の縄目に捕らわれたり」です。ルターの詩は全体でも七節。レオンの総詩節数の半分もありませんが、単に短いというだけではなく、詩節は、死を制圧するキリストの十字架と復活を歌って、ルター派教会の死生観を簡勁な言葉で言い尽くしています。
3 神の御子、イエス・キリスト
われらが身代わりとして来たれり。
しかして罪を除きたまいぬ。
これによりて死の手より
権利と威力はことごとく奪われぬ。
かくして死は形のほか何をもとどめず、
死はその刺を失いたり。
ハレルヤ。
4 げに不思議なる戦いありき。
死といのちと相争いぬ。
勝ちをおさめたるは命にて、
そはついに死を呑みこみぬ。
御書(みふみ)はそを述べ伝えて曰く、
ひとつの死、別なる死を喰らいて、
死は恥辱にまみれぬと。
ハレルヤ。(4)
「ひとつの死、別なる死を喰らう」など、逆説に満ちた荒削りの言葉と、垂直に深く切り込んでくる詩の力には比類のないものがあります。そうした表現は決して分かりやすいものではなく、ある意味では、今日的意味での賛美歌の見本とは言えません。しかし、ルターにおける、響きのダイナミズムを形成する雄渾な詩節の連なりは、続く世代の詩人たちを捉え、コラールというジャンルそのものを導き出したのではないかと思います。ルター派正統主義の音楽家として、バッハは、信仰と音楽とがふたつながら拠って立つ根源に汲もうとしているのです。バッハの音楽もまたルターの精神から生じたと言えます。
初めに紹介したヘッセの小説『デーミアン』に、一〇六番のこの箇所に言及した場面があります。「今日、あなたはわたしとともに天の国にいるであろう」という十字架上のイエスの言葉をひきだすのは、傍らの罪人の訴えです。「御国の権威をもって来る時、どうか自分を思い出して欲しい」と。この箇所について、デーミアンは主人公シンクレールに次のように語ります。「シンクレール、あそこにぼくの気に食わんところがあるよ。つまりふたりの罪人に関することさ。三つの十字架が丘の上に並んで立っている…そのひとりの愚直な罪人についての感傷的な宗教宣伝物語ときちゃ!…その男が弱気になって、悔い改めの、哀れっぽい儀式をした!…きみが今日二人の罪人のうち、ひとりを友だちに選ばねばならないとしたら、あるいはふたりのうちのどちらを信用することができるかをかんがえねばならないとしたら…もひとりのほうだ。そいつはいっぱし男で、性根を持っている」(『デミアン』高橋健二訳)。このいかにも現代的な宗教批判はバッハのものではありませんでした。この箇所を読んでいつも私が思い出すのは、次のような言葉です。
「親鸞におきては、ただ念佛して、彌陀にたすけられ参らすべしと、よき人の仰せをかぶりて、信ずるほかに、別の子細なきなり。念佛は、まことに、浄土に生るるたねにてや侍るらん、また、地獄におつべき業にてや侍るらん、惣じてもつて存知せざるなり。たとひ、法然聖人にすかされ参らせて、念佛して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。そのゆゑは、自餘の行も励みて、佛になるべかりける身が、念佛を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ、いづれの行もおよびがたき身なれば、とても、地獄は、一定、すみかぞかし」(『歎異抄』第二条)。
本当に恵みに帰依した人にとっては、自分に性根が据わっているかなどもはやどうでも良い。救われるか否かすらどうでも良いのだと。これは、ルターが、救いに選ばれた者の極みとして、次のように述べることと対応しています。「これらの人は、死に臨んで…自分自身を地獄にまで放棄する」(『ローマ書講義』笠利尚訳)。地獄こそわが住処と腹の決まった人間の神への帰依には、サタンといえども手を出せないということでしょう。
その「平和と喜び」はどこから来るか。親鸞の晩年に「愚禿悲嘆述懐」という歌があります。
「浄土真宗に帰すれども/ 真実の心はありがたし/ 虚仮(こけ)不実のこの身にて/ 清浄(しやうじやう)の心もさらになし// 小慈小悲(せうじせうひ)もなき身にて/ 有情利益(うじやううりやく)はおもふべき/ 如来の願船いまさずば/ 苦海をいかでわたるべき」(『三帖和讃』)。
ルターもまたそのような嘆きを共にしました。聖職者として自己の良心を吟味すればするほど、神を山車にして自己の救いのみを追求している自分が見える。神の義が裁きの物差しであるならば、そのような密かな罪を抱えて神の前に立ちおおせる者は誰もいない。しかし「義なきを義とする」恵みにこそ神の「本願」があるがゆえに、人間のいかなる罪汚れといえども神の恵みの大海のうちにあっという間に呑み込まれてしまう。
「功徳の宝海みちみちて/ 煩悩の濁水(じよくすい)へだてなし」(『三帖和讃』「浄土高僧和讃」)。
下水の汚れ水など、清き大洋の中では影すら遺さない。神は人を裁こうと睨みつけているのではなく、相応しくない者にこそその義を贈ろうと待ちかまえている。ルターのその発見は、「福音」を再び文字通り「喜びの言葉」としました。そのような良心の内なる変革の出来事、真の「平和」との出会いから、歴史的事件としての宗教改革、またルター派福音教会の共同体が由来します。「音楽家がひとに音楽を贈るように」神はひとに信仰を贈る。バッハにとって、ルターに立ち返るとは、そのようなルターの信仰、またその音楽的表現に立ち返ることだったと言えましょう。このように希望の言葉をその伝統の根源へと遡らせ、幾層にも重ねて表現していく。先ほどバッハの音楽が、詩的造形的構造をもつと述べたことは、以上の意味においてです。
一〇六番のカンタータでバッハは、死と罪と律法の連帯、その「縛り」からの根本の解放の出来事を示唆しつつ、身体の死を「平和と喜びとともに」越えていく道を指し示しました。バッハの音楽は情感を動かすだけではないのです。根源への立ち返りによって言葉の出来事を創り出すという仕方で、バッハの音楽は言葉に関わっています。その音楽は、いわゆる教派性へと閉ざすのではなく、そのような言葉に関わる深い洞察を分かち合おうとして開かれています。なぜバッハの音楽が宗教をともにしない者にも深い霊感を与える仕方で響くのか、その根拠はそこら辺にあるような気がします。
レオンのコラールからルターのコラールへ、その移りゆきには、先人の言葉を自己の言葉とする出会いの出来事が語られています。共同体の伝統に支えられて希望へと委ねゆく賭けは、その希望の根拠に立ち返って「平和と喜び」との出会いの真実を創り出し、これを言葉の出来事とします。そこには、法然の言葉を受けとめて自らの告白とする親鸞の言葉の響きがあります。
ドイツ・コラールと伝統
まとめたいと思います。今日お話ししたかったことはまず、バッハの音楽全体が言葉を重んじていると言うこと。またそれと深く関わることですが、バッハ音楽の著しい特徴として、コラールに代表される共同体の担ってきた伝統への顧慮と、その言葉の深い学びを挙げることができるということです。
ルターにおいて、中世的信仰の伝統世界を覆す言葉の再発見の出来事が生じました。すなわち、「神の義」とは違反者を罰すべく審判者の手に握られた善悪の物差しではなく、相応しくない者にこそ送られる神の恵みの救いにほかならない、という福音の再発見がすべての改革の契機となった。そのような彼の内なる大変革が、外なる変革としての一六世紀宗教改革の契機となりました。しかしその変革が、まずは聖書という伝統の言葉に立ち返るという地点から起こっていることを銘記せねば成りません。そのような伝統への執着から生じた、良心の自由への覚醒が、近代の歴史における自由の出発点となりました。またそこに、コラールという新しい言語様式の創成が行われました。そのように中世的な死生の伝統からの解放を告げるルターの言葉の消息を、バッハの音楽もまたともにしています。歴史的な位置に関しても、バッハはルターと非常によく似た立場に立つと言えましょう。音楽の時代状況のなかでバッハは、ロマン的個性の単旋律へと移っていく潮流の中にあります。時代の趣味が移っていくなかで、バッハは時代遅れとなることを自覚しつつ、対位法に則った多声音楽を志向したと言われます。事実はむしろ伝統の技量を徹底的に修めるなかで、一〇六番に窺えるような斬新さが培われ、さらに共同性の響きとして音楽全体の底流を保持し、後に伝えることになったのだと思います。そのような曲づくりの志向において、ルターの根源は重要でした。この出発期において、ルターのテキストを多く用いる。そこに、伝統についてのバッハの洞察を窺い知ることが出来ます。
ルター以降の世紀の間に、(今日の集成では)浩瀚な書物数巻におよぶコラールが作られました。コラールの歴史には、パウル・ゲルハルトのように賛美歌史に輝く雄峰も聳えています。しかし、時代を経るにつれ、ことにバッハに続く時代以降、繁茂する一方で淵源を遠ざかり薄まっていく。衰退の兆候が見られることも事実です。このジャンルの再生を考える時、ルターという始源に立ち返らざるをえない。バッハはそのような潮流を先だって自らの時代の現実として洞察し、予めその遡行を行っているようです。
こうしたコラール史の状況を鑑みる時、顧みたい言葉があります。「共同社会の法則から解き放たれ、もっぱら作者個人のその場その場の感情や心理や、あるいは思想にしか詩の動機を持たないようになったとき、すなわち孤独の心の告白としてしか意味を持たなくなったとき、それらの詩は避けることのできない一つの症状を露呈する。この世界とその住人たちとをことごとく否認し、詩は人間社会に奉仕することをやめ、象牙の塔における悲劇的孤立のうちに、詩が単に詩であることを目標として連金の秘術をこらすようになる。ロマンチシズムがこのような詩を合理化したが、創造とはもっぱら個性に帰せられるものの名となり、詩人は天才であり光栄ある孤独者であるという意識を生み、個性の演戯者として社会のおきての外に位置するものとなった。到達するところは、詩人の独善意識と、詩の伝達機能の停止とである」(山本健吉『古典と現代文学』抒情詩の運命)。「芭蕉によって完成された連句は、同時に芭蕉によってピリオッドが打たれた。それは人麻呂によって完成された長歌が、同時に人麻呂によってピリオッドが打たれたのと似ている。芭蕉によって連句の発句として達成された高さにまで、その後俳句は単独で到達したことはなかった。それは人麻呂によって、長歌の反歌として、あるいは叙事詞章のさわりとして達成された高さにまで、その後短歌が単独で到達したことがなかったことと似ている。発句が連句から独立してからは、ただ短い抒情詩という意識による、閉鎖的な世界での完成の道を辿っていく」(同、詩の自覚の歴史)。これは日本の抒情詩について述べられたことですが、今述べたドイツコラールの歴史にもあてはまる。ということは逆に、ルターやバッハの現実が日本の抒情詩にも示唆を与えるのではないか。それが今日私が述べたかったもう一つのことです。共同体の言葉の生命は、これを最初に担った者がその時代の様式の完成を成し遂げ、同時にこれを過ぎ去ったものとする(旧様式とする)と、山本健吉は言います。それは、新様式を創出する出来事ですが、そのようにして生まれた新様式は、到達の達成であるとともに、生命力の根幹・共同体からの遠ざかりを含み、後進にとってはそこに抒情的洗練の道しか遺されない事態が生じます。後進は、言葉を「私」の内へ深め、洗練させることによって、共同体からは孤立していく。これは詩に限らず、芸術一般に観察される現象ですが、讃美歌史においても、ことに一八世紀以降には歴然としてくる傾向です。バッハの時代はまだ少し早いとはいえ、彼自身はすでにその転回点を予測していた。バッハがルターに立ち返るのは、そのような伝統の問題を早くから洞察していたからと申せましょう。
歴史の中でそれぞれが立つ地点自体は運命的なものなので、殊更に他を追い求めても甲斐のないことです。しかし洗練が、すなわち私の中で言葉を純化することが、音楽的なものであれ抒情言語においてであれ、必ずしも事の本質ではないのではないかということを、問いとして提起しておきたい。それはむしろ、そのような言葉を要求する命の結びつきとしての(時代を超えた)共同体の根本的関心にある。誤解しないでいただきたいのは、どこかの国の性急な政治家のようにその関心それ自体を金科玉条のように掲げて、偶像化せよというのではない。危惧と配慮を持って、言葉の営みを見つめていく地道な歩みにしかその根に至る道は無いのではないかということ。命の核心を突く言葉を探す、その歩み出しはそのものは、私を離れえないとしても、私を越える歴史と伝統への関心を抱き続けることとがなによりも必要となる。これを詩に当てはめると、日常の個的体験の中だけへの洗練、抒情の冴えの追求、また現代的思想の移り変わりに心の総てを奪われるのではないということ。それらも特異な時代、恵まれた時代にはそれなりに人の心を捉える言葉となることを認めつつも、それらも含めた言葉の奥底にあって、人間の歴史の全体、その本質を貫いている言葉を、古びたかに見える言葉にも聞き取ろうとし、過去の言葉の積み重ねの中に埋もれ隠されている現実との出会いを志向すること。かつて生起した真実の言葉の現実、その根幹に立ち返っていくことが必要ではないか、ということでしょう。
では今日、共同性とは何でしょうか。現代では、ルターやバッハの時代に「死」と呼ばれたものが、むしろ「無」の脅かしに姿を変えたのかもしれません。人々は何か分からないものに対する「不安」の中にいます。それはある意味で「死」が曖昧になったことを意味します。死が曖昧になるとは、生が曖昧になることでもあります。そこでは、「言葉」もまた曖昧になります。こんにち「共同性」ということがなお言われるとしたら、我々が共にしているのはそのような「負の共同性」です。これは価値判断としてではなく、事実認識として申しあげています。我々がそう言う地点にいるということを、すくなくともルターの言葉やバッハの音楽は明らかにするということです。そのような地点で、彼らが重んじる詩や音楽が目指すもの、真実なgetreu言葉の出来事とは何であったか、もう一度考えてみること、それは意味のないことではないと思われます。
註
(1) アルフレート・デュル『J・S・バッハのカンタータ』(カッセル・一九七一)三七三頁。
(2) 現在手に入りやすい選集(全集)としては、K・リヒターやN・アルノンクール、T・コープマン、鈴木雅明の指揮によるシリーズが代表的。他に、F・ヴェルナー、H・リリングによるものなどがある。
(3) フェルディナンド・ツァンダー『J・S・バッハのカンタータ歌詞の詩人たち』(ケルン・一七六七)二一頁。
(4) バッハのカンタータ第四番では第一曲に器楽シンフォニアが入るので、それぞれ第四曲、第五曲となる。
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