これか あれか
詩誌「ERA 第2号」 2004. 3
牡牛を象った 青銅の炉に込められ 弱火でじりじりと焼かれる その苦痛の叫びが 妙なる楽の音を響かせたという シケリアの暴君ファラリスの 残忍な楽器に喩えられるように 詩人の魂の 奥ふかく責め苛む苦悩を せつせつと訴える嘆きのことばに 世人はこぞって拍手喝采し もっと歌え もっともっとと よろこび囃しつつ 地獄の炎を掻きたてたという ことばが追い越されたとき 文字通り灼かれた叫びは 燃えあがる隙もなく蒸発してしまい 炉の蓋は閉ざされたまま 溶けた粗鋼があからさまに ぶちまけられることもなかった その沈黙に拮抗する いかなる挽歌もありはしない 炉の外壁から剥がれおちた呻きと 記憶の熾から集められた呪詛は 苛酷の徴として遺されたが その韻律を躊躇わず培養するものは いかに技倆を尽くしても 野卑のそしりを免れえない 清浄の天も地獄の焦火も 昏い時代の名残と 久しく顧みないこの惑星は それ自体 ひとつの熱き溶鉱炉に似て 今もなお外壁のあちこちに ふつふつと炎の舌をのぞかせて巡る その惨憺たる知性の似姿を 隣りの楕円軌道にも確認しようと ときに秋波を送りなどするが むしろばーんと炸裂して 超新星が生まれるときに 散華するガス星雲の光背のなかに 人もことばも揮発して 大団円ではないのか 天翔りゆくことばが 命を穿つものとなりうるか 広大な暗黒の果てに 忌まわしき高炉をうち空けられるような 真の空虚を尋ねつつ 荒涼たる夜の転落を 支える者の手を懐かしむか― 背理を告げようとも 真に怖るべき者の手に陥らんと ただそれぞれの魂の丈にみあった ちっぽけな炉の沸騰を携えて 呻きを光冠の闇に注ぎだしていくか 万象を灼き尽くしてやまぬ 戦慄の炉の中へむしろ墜ちていきたいと Enten - eller 「これか あれか」。キルケゴールの著作名。 僭主ファラリスの故事を記す。 |