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こどもとともに
幼い日々に
★じぶんで
子供の成長を見ていると、思わぬことに気づかされ、はっとしたり、深く考えさせられたりする。二・三歳の頃。子供の自我が最初に目覚めゆく時期、それはことに著しい。
それまでは遠い彼方を見つめた、スフレのようにほんわりとした存在であったのに、日毎に新しい表情を加えていく。ただ、成長による世界の拡大に、言葉の発達が追いつかない。もどかしさ。いらだち。そこには、大人の考えもよらぬ思いがあるようだ。
今年はもう中学生になる娘が、しきりに「じぶんで、じぶんで」と言い始めた頃のこと。
妻が戻ってきて、おかしくてたまらないという様子。医者に娘を連れていったという。風邪との診断。のどにお薬を。さあ、ああんとして。医者のおきまりの言葉に、娘は不安に口を閉ざしたまま。こう叫んだというのだ。「じぶんでやる!」
診察台に座らされ、医者の権威に従順に口を開け、薬で喉を焼かれるあの何ともいえぬ気持ち。思いだして私も笑ってしまった。
子供の舌足らずの言葉が、日常の営みに不思議な風穴をあける。
もう一つ。ある夜の団欒のとき。反り返るように椅子にかけていた娘。はずみで椅子がおおきく傾き、ああっ、危ない。娘の手を取るには遅すぎた。娘は椅子と共に倒れ、頭はガラス戸にふれる。次々と頭の近くに落ちるガラス板の破片。その恐ろしい音。
急いで抱き上げる。幸いどこにも怪我はない。ないのが不思議なほどに。
抱き上げる時の娘のおびえた眼。出来事の間、娘の口にはなんの叫びもなかった。抱き上げると初めて、娘は泣き出した。泣きながら、「じぶんでやったー、じぶんでやったー。」
思い出すごとに背筋が寒くなるが、その言葉の不思議な抑揚は今も心に響く。「お母さん」でも「こわいよう」でも「ごめんなさい」でもなかった。その全てだった。出来事そのものの怖さ。大変なことを引き起こしてしまった恐ろしさ。自分のせいだという切なさ。
妻は自分でも泣きそうになりながら、娘を慰めていた。「もういい、もういいから」と。
★よそのくに
昼休みに職場の同僚が話をしている。耳を傾けていると、自分の子供たち、ことにその言葉づかいについての話らしい。
「娘がなんと、むかつく!とか言うんですよ。むかつくなんて、こんなに自分中心な言い方はありませんよね。」
そういえば、ときおりわが家の子供たちも、友達とそんな言葉を交わしているようだ。だが、困ったと言う同僚に頷きながらも、子供の肩を持ちたいような心持ちもする。
言葉の響きが、そのまま人格の色を映し出すわけではない。粗い表現のもつ起爆力がむしろ自分を支えてくれる。そんな経験、誰だってあるのではないだろうか。
一年間、家族と共に南ドイツの小さな町で暮らしたことがある。
上の子が三年生、下の子が一年生。到着してまもなく、今日から現地校に通うという朝。校門の所まで送る。いってきまあすと、彼らはけなげに手を振って駆け出していく。
子供は慣れるのが早いから大丈夫。だがそれは子供より、むしろ親を慰める言葉なのだろう。はじめての土地ではじめての言葉を習う。その困難は察しがついた。
幸いちょうどマルティン祭からクリスマス。友達に招かれたり、土地の人の優しさもそれなりに味わい、それから長い一年。登校拒否を言い出すこともなく、なかなか言葉の通じない教室の一隅に彼らは座りとおした。
帰国して、さほどの遅れもなくもとのクラスに戻ったと、妻と私がほっとしていたある日のこと。「海は広いな大きいな・・・・・・」と子供が二人で一緒に歌っている。
幾度も繰り返し、楽しげに戯れながら、歌詞の一箇所だけを妙に強調して歌っている。耳を澄ますと「行ってみたくない、外の国」。その「みたくない」の高らかな抑揚!
親の都合で外国に住む。彼らは彼らなりに一途に抱えていた想いもあったはずである。そのような心の屈折を、替え歌のその一節は見事に弾きとばしていた。
もつれた経験を克服させてくれる一言。彼らのその発見に私もまた共感を覚えていた。