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ドイツの学生時代から
遙かな地で
★つめくさの葉
初めてドイツの地に立ったときの心細さを今でも思い出す。留学のため。とはいっても、日本で大学院受験にことごとく失敗して、逃れるようにかの地に渡ったのである。
予め周到な準備をする暇など無かった。手続きの一切を現地でという冒険。心は不安で一杯。とても意気揚々とはいえなかった。
ユースホステルで一泊。翌朝、手続きに行く。そして宿探し。秋の試験までの期間、何とか休暇中の学生寮に部屋を見つける。
寮は町のはずれ。捜していると急に雷雨。リュックを濡らさないよう、バス停で雨宿り。すると女子学生が自転車を押して坂道を登ってくる。雨合羽姿だが髪まで濡れている。
声をかけたのは彼女か自分か、覚えていない。ようやく雨が上がり、彼女は私を案内してくれると、じゃあと行ってしまった。
翌日メンザ(学生食堂)にゆくと、昨日の彼女が手を振っている。学生同士で聖書の学び会を始めるのだという。
私のリュックには聖書があった。それは、大学を終える頃には、気になる書物にはなっていた。だがもう読まないかも。そうためらいつつ荷造りをしたのも事実だった。
女子学生の名はザビーネと言った。みんなにビーネ(みつばち)と呼ばれていた。他にロルフ、エファ。三人は皆、数学の専攻で、中高等学校の先生を目指していた。
毎週木曜の夜。寮の集会室を借りて始めた会は、四人からやがて人数も増え、国籍も様々になっていった。だが私たちはいつまでも、自分たちをつめくさ(クローバ)になぞらえた。吹雪の日の散歩など、学生らしく愚かなことをする時、私たちはたいてい一緒だった。
たどたどしい言葉でどれだけ自分を伝えられたか。文学を志していた私には語り得ない心の襞もあった。だが、聖書に記されたことがただの思想ではなく、生き得るものだという予感。私はそれを彼らに負っている。
出会いということの不思議を思う。「曙の翼を駆って海の彼方に行き着こうとも、あなたはそこにもいまし、御手をもって私を導き、右の御手をもって私をとらえてくださる。」(詩篇一三九の九・一〇)
★クリストローゼ Christrose
「エサイの根より生いいでたる、くすしき花は咲きそめけり」(賛美歌九六
番)。キリストの生誕を待ち望まれた開花として描くこの歌は、もともとはドイ
ツの古い降誕節の歌。我々の親しんでいる和声は、バロック期の作曲家プレトリ
ウスの編曲によるものである。
原詩には「バラの花一輪咲き初めぬ」と花の名が明示され、さらに「寒い真
冬の夜半に」と待ちこがれる世界の状況が描かれる。白く凍りついた荒野にひっ
そりと花開く一輪のバラ。その光景を思い描くと、胸の奥にかぐわしい香りの広
がりすら覚える。
その匂い立つような景色は、しかし、実際にはあり得ない。せいぜい信仰に
よる心象描写であろうと、久しく思っていた。ドイツの厳しい冬の風土と、純朴
な信仰の希望を、くっきりと描き出してはいるけれども
一九七五年、私は冬の休暇をライン河畔の町マインツで過ごした。大学の友
人ザビーネの家族に招かれてのことである。年の瀬の市の賑わいに始まり、降誕
の夜の輝かしい礼拝、また家庭のしめやかな祝い。出来事や事物の一つ一つがく
っきりと心に刻まれた。
最初の朝。ラインに臨む質素な居間。東向きの窓から淡い光が射し込んでい
た。食卓の中央に待降節の葉冠(クランツ)。すでに四本すべてのろうそくに火
は灯されていた。
私は、そのクランツの姿が、樅や檜の枝を粗く巻いた普通の形ではないのに
気づいた。むしろ輪型の素焼きの燭台という趣。四隅のろうそくの間をつないで
樅の小枝が控えめに生けられている。緑の葉に混じって白い可憐な花が目に入っ
た。いぶかしむ私に気づいて、「クリストローゼよ」とザビーネ。
キンポウゲ科の植物という。庭園のバラより、野の花を思わせる。冬のさな
か、白か紫に花開く。ちょうど、深い根雪の下にひっそりと芽吹く福寿草のイメ
ージがあてはまる。春を先ぶれる「キリストのバラ」は、まさしく希望を告げる
徴にふさわしい。
その晩は、私の他にも二人の年老いた寡婦が招かれていた。そのような招待
は毎年、降誕節の習いという。国の分断で行き来のできぬ親戚からの挨拶の披露
もあり、その夜はしめやかに、また和やかに更けていった。一輪の花が、私の心
にも根付くように思われた。